佐藤春夫の碑ー羽咋工業高校

羽咋工業に勤めたのは1972(昭和47)年~1975(昭和50)年。
隣の「汐路」食堂もなければ、町自体も変わった。
一緒に勤めた人もかなり世を去った。
どうもインターハイ県予選時期らしく、学校前を通りかかると静かな気配。
佐藤春夫氏の校歌、ならびにタクミガオカ(工藝台)をこの機会に見ておこうと、学校前の庭へ寄った。
もう45年たち、特に木々はずいぶん成長しているはずだ。
校歌の碑には、記憶がなかった。
工藝台は、そういえば、校門付近にあったのだった、と思いだした。
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校歌
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一番

 古の地に新しき
  文化を産むと若人の
  志見よ我らみな
  國の内外(うちと)に雄飛せん
   自律の児らの睦じく
   楽し我らが学窓は


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二番

   松原つづき庭廣く 
   海山見えて窓高し
   秀麗の地の学校(まなびや)の
   すぐれたる子ら巣立つべし
     自律の児らの睦じく
     楽し我らが学窓は

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三番

   技藝(わざ)に学業(まなび)に人格(ひとがら)に
   向上の途(みち)一すじを
   進まん我ら希望あり
   工藝台(たくみがおか)の春秋(はるあき)や
      自律の児らの睦じく
      楽し我らが学窓は
      自律の児らの睦じく
      楽し我らが学窓は
        佐藤春夫[角印]  

第2回卒業生の寄附だから、昭和24年生まれあたりの生徒たち、私より2年下だ。
とすれば、50年経っている。
 綺麗な碑、だと思う。
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工藝台(たくみがおか)
→佐藤春夫の世界ー羽咋工業高校