能登・門前ファミリィーインビュー・サンセット

前日7月30日(土)同窓会の後は、駅近くのホテルが取れず、旧国道沿いのホテルを取った。
花火大会、バイク、大型トラックが通り、なれない者としては寝苦しい夜だった。
しかも、といっては何だが、宿泊者名簿に「珠洲市飯田町14-71」と書いたら、
フロントのおばさんが「郡はどこですか?」と聞く。
???の顔をしていたら、ホウスグン(鳳珠郡)珠洲とか、というのでビックリこきたまげてしまった。
金沢市が何郡?と聞くのと同じですよ、と言ったところで気づいたようで、「失礼しました」とおっしゃたが、
同じ県内でこんな質問する窓口があるとは思わなかった。
これは、導入。
いわば、情報が届かなかった時代を思わせる話しなのだが、
翌日は一旦家に帰り、用事を済ませて、門前の親戚寺院のお通夜に出向いた。
金沢ー珠洲ー門前ー珠洲、翌日葬儀門前往復は、あまりにもきついので宿を取ってもらった。
お通夜を終え、8時頃に宿である「ビューサンセット」へ入った。
宿泊棟ははじめて、しかも夜。
写真の通路にたどり着くまでがわからず、さまよい歩いた。
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写真で見る宇宙船の中みたい通路の、ところどころに枝のように通路があり、部屋がある。
最初は寝台列車みたいだと思った。
導入が昔々で、1日で未来の宿泊施設にさまよったのである。
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夕日が綺麗な丘の上のリゾートホテル、のはずだ
伊東乾さんが著名な音楽家でもあることを知らずに、
はじめて出会って、昼食をここでご一緒したとき、
ビュ-サンセットは「夕陽の丘」だそうです。
石原裕次郎浅丘ルリ子の「夕陽の丘」ーいいですねぇ、と蘊蓄を傾けたつもりの恥ずかしい思い出のある場所…。

参考飯田高等学校百周年記念講演:伊東乾氏


当然、静かな丘の夜を想像していたのに
ガマガエルかウシガエルか、から始まって様々な蛙が音楽を鳴らす。
草野心平氏がいたら、喜ぶだろうなァとか、
デュークエイセスの「筑波山麓合唱団」をバックに蛙のリズムに合わせて寝ようとするのだが、
若い教え子たちのエネルギーと親戚の人との別れ
宿舎は逆に旧と新新で、頭の中が混乱して眠られない。
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朝、見回すと建物ごとの周りに池がある。
山麓にも蛙がいるわけだ。
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変わったところに泊まった印象を確かめるべく、今朝、ホテルのキャッチフレーズを調べた。
次のように書いてある。

能登・門前ファミリィーインビュー・サンセット

日々の暮らしを忘れさせるような隠れ家的な宿の「能登・門前ファミリーインビュー・サンセット」は、日本海を一望できる丘の上のリゾートホテルです。個性的で少し変わったホテル設計で出迎えます。
部屋のタイプは、本館山側の和室棟や新館海側和洋室棟、別館コテージ棟があります。ニーズに合わせて選ぶことができます。
食事は、海を望むダイニングで四季折々の和洋折衷料理を堪能できます。天然温泉「門前じんのびの湯」も併設しており、宿泊客はもとより、日帰り入浴としても利用が可能です。

お通夜から葬儀にかけてお世話をなさった僧の中に、門前町で長年お勤めになり、『門前町史』の事務局長をなさった方がおいでる。
彼に変わった建物でしたというと、「石川県能登島ガラス美術館」を設計なさった方が、曼荼羅を意識して設計なさったそうです、とおっしゃる。
お通夜の晩、曼荼羅の一室に泊まったのか…。
御縁だ。
設計なさったのは毛綱 毅曠とおっしゃる方である。

毛綱 毅曠(もづな きこう)

本名:毛綱 一裕、昭和16年(1941年)11月14日 - 平成13年(2001年)9月2日)は、日本の建築家。日本建築学会賞作品賞など多数受賞。
初期に毛綱モン太(もづなもんた)と名乗っていたが「毅曠」に改名。1970年代の日本の前衛建築の先鋒の観が有ったとされる。「阿弥陀から弥勒への七つのメッセージ」という九枚のパネルを発表し世界的にも有名となった。