能登はやさしや土までも

能登はやさしや、土までも」は、『三日月の日記』(元禄9、1696)に初めて見える、
杵歌の7・7・7・5下二句、7・5。

いわゆる国風(くにぶり)を詠ったもので、その前には加賀、越中の国風が詠み込まれている。
それ以外の歌詞は伝承もなく、…能登はやさしや土までもの例文についても
以下に挙げ尽くしていたと思っていた。
参考:能登はやさしや土までも

ところが、能登を取り上げた泉鏡花作品を見ていたら、次の「能登はやさしや…」があることに気づいた。
言葉を縦横に操る鏡花のことだから、7・7は創作だろうが、紹介しておく。
「女ばかりか草さへ菜さへ
能登は優しや土までも」
河伯令嬢』昭和2年4月
河伯は、能登で言う,水主(みずし)、河童である。

この話(『河伯令嬢』)は、飾り職人が羽咋郡大笹の旅館で,藩政期の俳人が書き残した「能登路の記ー河裳明神縁起」を見るところから始まる。
今、車の通る大笹の地は旅館などあったようには見えないところだが、山道を行くと
思わぬ街道町が現れる。
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国道はこの牛ヶ首を通っている。
バス停が、
北陸鉄道は「牛首」
コミュニティバス(町営)は「牛ヶ首」
表記が違うのは珍しい。


※独り言ー案外あるのかも知れない。
山麓に「牛首紬」がある。これはウシクビ紬(つむぎ)。
大笹の地名は「ウシガクビ」。
ということで、どちらもOKなのだが