簡単にいうとー松扉哲雄さんとの再開ー

某書の案内が届いた。
本文の引用が載っている。
「人間は一面には共同にして一面は個であり、個にして共同という構造である。そして個の面に二重性があるように、共同の面にも二重性がある。
簡単にいうと、実存的自己と実存を喪失した自己との区別があるように、実存でない共同体と実存共同体との区別である。」
読んでいてクラクラしたが、納得して引用なさった人もすごい。
「簡単にいうと、
実存的自己と実存を喪失した自己との区別があるように、実存でない共同体と実存共同体との区別である。」
実存でない共同体、は、後に吉本隆明が言った「共同幻想体」に通じるものなのだろうか?
「簡単にいうと」と、わかりやすく言うととは違うのだろう。

分かりやすい松扉さんの本

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『人間であること』法藏館
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『死と共に生きる』法藏館
4月から勉強会を3回行った2組(羽咋、志雄)に、松扉哲雄さん(明円寺、大正8年・1919~平成11年1999・10月14日)がおいでた。

羽咋工業に勤めていたころ(昭和47~50年)、松扉師主催の勉強会に顔を出した思い出があったので、一度訪ねてみたいと前々から思っていたのだが、

跡継ぎの方が、2組勉強会に顔を出しておられたので、
「どなたですか?」

「昔ここでの勉強会に顔出したものですが。父が大谷で同窓だったようで…その縁もあって、近くの高校に勤めたとき、勉強会に顔出ししたものですが…云々」
といった折の説明もいらなくなったので、全国から多くの人々が集まっていて、松扉師の顔さえ拝めなかったような記憶のあるお寺を訪ねた。

そういえば、

ここで受付があって…などと
庫裡へ入るなり、記憶の断片が蘇ってきた。

といってもそれだけ。
誰と行ったのだったかすら記憶にない。


御著書を読んでみた。

わかりやすい。
どのようにして、さまざまなエピソードを身につけられたのだろう。
『死と共に生きる』に、記されておいでる方々の著書、それに松扉さんの御著書を古本などで注文中。
松扉哲雄の世界に、入り込んでいる。
(もうひとかた、林暁宇氏の書かれてものが、すーっと入ってくる)
聴聞する人々と一緒に…の世界だ。

「わかりやすさ」があふれており、そこに登場しておいでる方々が行き来していたいた頃が、ついこの前まであった。

遅ればせながら…だが、松扉さんの本を読みなおすきっかけは
2組勉強会、そのもとの高山研修
さらにその前の11組~14組坊守研修会………の縁
さらに、松扉さんのお寺近くの工業で教員をし、
松扉さんの勉強会に顔を出したことが、何十年も前にあったこと。
数々の縁、

おかげさまだ。

注文し届いている本

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『死すべき身のめざめ』法藏館
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『自身に目覚めん』樹心社
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『深く生きる』東本願寺
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『おかげさまの世界』法藏館
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『覚の宗教ー親鸞の教えにあう』光雲社
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親鸞の教えに生かされて』光雲社