「近世仏教ー史料と研究ー」、『日本宗教史研究の軌跡と展望』

岩田書院の「新刊ニュース」を見ていたら、」、『日本宗教史研究の軌跡と展望』サマーセミナーの記録。が出ていることを知った。関係者が執筆ということで、懐かしさもあって、早速注文した。
サマーセミナーには、強烈な思い出がある。三河吉良町で行われたサマーセミナーに混じり、寺檀制度問題を語り合った。門徒に半檀家、複檀家という、一家一寺ではない時代(あるいは地域)があることを始めて知り、確か様々なレジメ発表、討論が続けられた。
その提言の基礎になったのが、福田アジオ氏の報告だった。
福田氏は三河で自分の書いたものが、そうそうたる近世仏教史研究者の中で取り上げられていることは知らなかったと思うが、民俗と歴史の接点があって、その意味でも面白かった。ところが民俗は都市民俗のような現象面に流れていき、私も能登の民俗研究にシフトしたため、確か翌年、大桑斉先生の自坊、金沢材木町の善福寺のセミナーに参加しただけで、まじることはなかった、と記憶している。
 近世仏教といっても、幅広い分野について行けないと思ったのかもしれないし、クラブ指導が忙しかったか、夏も仕事があるような校務分掌だったのかもしれない。
ともあれ、サマーセミナー、吉良では、ーはじめて上野介が地元で人気があることを知り、ものすごく暑かった電車、翌年の大桑さんのお寺では、前日飲み過ぎて、皆が寝ている中、お朝事に参り、大桑さんのおつとめを聞いたことなどが浮かんだ…学会という世界に顔出ししたこともあったのだ。
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49名の執筆者中、8~9名ほど知った人がいて、善福寺が会場になった会もあるのだが、三河のサマーセミナーが載っていない。
日本宗教史研究会、日本の女性と仏教、日本宗教史懇話会それぞれのサマーセミナーの記録を見ていっても出てこない。
そこで、はたと気がついた。
私が混じったのは近世仏教研究会だったのだ。
間違っていることに気づいたけれど、この程度の括りだと、読むことができて面白い、これ以上細かくなるともう、わからない。、

『近世仏教ー史料と研究ー』

サマ-セミナーに行ったのは、こちらの会だった。
1期、1960年~65年。65年が高校3年生だから、というか大学1年で、この分野と関わるなどとは全く思ってもいなかった頃、こういう活動があったのだ。
最終号(第7巻、通巻21号)、表紙・目次、1988年(昭和63)1月号
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第1期、1960年創刊号~1965年6月第3巻第2、3巻目次
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復刊は1979年昭和54年。3月はまだ宇出津高校勤務。4月から飯田高校。32歳。1年担任、野球部、新聞部顧問、『珠洲市史』にも関わっていた頃。

復刊に当って 1979年3月
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第4巻第1号(1979、4月)~第6巻第1号(1983、3月)目次
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~第6巻第3、4号(1986、2月号)
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終巻の辞、1987年12月号
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8年後。