石川県立飯田高等学校創立100周年ー関連新聞記事ー

福島の子供支援に引き続き、記念式典後までの流れ。

記念碑除幕式

18日(木)
新聞記事19日(金)
f:id:umiyamabusi:20121022183523j:image
北國新聞
f:id:umiyamabusi:20121023084236j:image
北陸中日新聞
左から。同窓会長、私、学校長、生徒会長。

記念誌『伝説とロマンの里』

20日(土)記事
f:id:umiyamabusi:20121022183514j:image
記念誌は2種類。
ほかに『近十年史』がある。
記事が出るのにあわせ、執筆協力者、遠方の調査協力者の方々に、順次発送。
たとえば、高校生の時に「2・7の市」調査をした資料を使わせていただいた2人に、郵送しようと電話を入れると、1人はすぐつながったが、1人は通じない、その方の実家へ行って確かめると異動があって遠くにいるという。そういうこともあって、手間取りながら順次発送。
2200部制作。招待者、寄付者、生徒に配布。
f:id:umiyamabusi:20121022183735j:image
帯の色は、校歌「縁の色濃く、藤こそ匂へ…」から。
この本の表紙、後書きを変え、一般販売するつもりだったが、話しが変わってきたので、この本は印刷したものしか残らないことになった。
そこで、図書館・公民館寄贈分を急遽増やした。

当日ー全面広告21日(日)部分f:id:umiyamabusi:20121022212007j:image

f:id:umiyamabusi:20121022211958j:image

f:id:umiyamabusi:20121023084550j:image

2007年(平成19年)8月17日、
当時の隅校長、館教頭がおいでになり、事業の第一歩を踏み出した。
私たち同級生は、三つの科で学んだ。
それぞれの科、地域を考慮した実行委員会メンバーが決まったのが、その年の11月13日。
ほぼ、5年の時が流れた。
浜野君は、今年亡くなった
5年間もやってきたのだぞ…、
今年の1月まで、浜野は百周年を気に掛けていたのだぞ…
その思いを伝えたくて、このような形の協賛囲みを載せた。
上が「北陸中日新聞」、下が「北國新聞

記念式典の模様

22日(月)の記事。
f:id:umiyamabusi:20121023082321j:image
北國新聞
f:id:umiyamabusi:20121023085854j:image
北陸中日新聞
北陸中日新聞
生徒会長・新谷麻姫さんの挨拶、そのほか、みんなよかった。

22日(月)

記念誌は、執筆陣、協力者、写真提供者などへ順次郵送。
22日夜、故浜野氏の自宅へ本を持参した。
電話では話したことがあったが、奥さんとは初めてあったのでは、と思う。
そういうことがあったのか、ご子息が高校1年の時、公開授業があって、その時授業をしていたのが私だったそうで、その時から私を知っておいでるとのことだった。
 歌が好きだった彼の思い出を語り合い、仏壇前に飾られた広告の傍らに、本を一冊献呈した。
 原稿書きに挫けそうになるとき、どこかで浜野のためにも、との思いが支えてきたこともあった…ことを思い出した。


式典では、はつらつと歌った校歌。
講師の伊東先生が弾いてくれた「月光」、その月光の下を運転して帰るとき、
全く別の意味で校歌が耳元に流れ…
海に映る月光と重なり合い…
運転できなくなった。


ようやく区切り。

そのほか記念品

f:id:umiyamabusi:20121025081433j:image
『創立百周年記念 飯田高校近十年史』
創立90年で、旧中、女学校、飯高13回生まで、総力を挙げた盛大な記念行事が営まれた。
その時、分厚い90年誌が作られている。
それから10年しか経っておらず一応100がつくから、ぐらいの簡単な気持ちでいたのだが、
近十年史は、立派な本になった。
f:id:umiyamabusi:20121025081427j:image
日本タオルに「清・慎・勤」が染めてある。
珠洲実業からの伝統の店「珠洲の実」が考えたという。
この案が出たときに記念事業がそろった。
100周年はこれで成功する(した)と思った。