能登はやさしや土までも…
5日の北國新聞朝刊社会面に次の記事が載っていた(部分)。
PDF「能登はやさしや土までも」新聞記事←カラー・82㌫縮小
年の暮れに記者さんから電話がかかり、
世間話のように「能登はやさしや…」についてお話しし、
能登を知る会でしたね…、
それ、もうやめようかと…
ムニャムニャ…
やっていたら、西勝寺住職としてのコメントになっている。
「能登はやさしや…」について、もっとも詳しいのが、
次の「お国ぶりー能登はやさしや土までもー」で、400字詰め10枚の文である。
PDF・、写真白黒版
能登に関心がある人なら、このフレーズにそれなりの説を持っておいでたのだろうが、それを取り上げたのが、平成4年(1992年)11月17日の「能登の人情示す言葉の由来はー「土までも」か「人殺し」かー」(北國新聞朝刊)だった。
藤島秀隆・故小倉学・故杉森久英・私の順でそれぞれの受け止め、コメントが載っている。
感覚的なものもあって、
本当のところはどうなのだろう?と
調べたのが、10年後に『能登のくに』にまとめた文である。
それからもう7年余…
「能登のうみやまブシ」を名乗りながら、「能登はやさしや…」についてほとんど触れてこなかったことを、
この記事をきっかけに、あらためて知った。
→鏡花の「能登はやさしや」