親鸞聖人の海…、恵信尼公のふるさとを訪ねるー七尾鹿島坊守会研修ー6月10日、11日

親不知ー糸魚川市

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飛龍山大雲寺(真宗大谷派)ー糸魚川市外波(となみ)ー

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親不知・小不知で難渋されていた聖人を立竦(たちすくみ)という漁夫姿の少年が背負って渡し、姿を消した。
戸波村の庄司神職の妻の念持仏を立竦といい、この仏の裾に濡れた跡や砂がついており、少年に姿を変えて聖人をお渡しになった、との話が伝わる。
寺号は蓮如上人から。

能生(のう)白山神社糸魚川市能生ー

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白山境外末社は「鈴(珠洲)モスノ白山、佐那武、ノウノ白山」に始まる。そのノウノ白山で、この地から白山が望めるという。
また、気多神社の「鵜祭」で、鵜が放たれたあと、能生に向かうとされる。
写真は拝殿だが、本殿は永正12年(1515)、能登守護畠山義元の再建によるもので重文。
後ろの社叢・尾山(御山)は、ヒメハルゼミ生息地の北限とされている。
潮が満ち来たると自然と鐘が鳴ったと伝わる名鍾「汐路の鐘」(「奥の細道」)には、明応8年(1499)、能登中居浦で鋳造の旨が記されている(新潟県指定)。
芭蕉句碑「曙や 霧にうつまく かねの聲」元禄2年(1689)7月11日能生に宿泊の折の句。

新井別院ー妙高市下町ー

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境内にある恵信尼公堂。
恵信尼公像。

山寺薬師ー上越市板倉区東山寺ー

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参道。200段以上ある。
山寺三千坊の中心だったとされるのが山寺薬師。
堂には、応永2年(1395)7月2日、京仏師筑後法眼作、大檀那・三善讃阿による、像高145センチの釈迦・薬師・弥陀如來の三尊が安置されている。
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薬師堂横の墓地。

常楽山猿供養寺跡地

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聖の窟

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恵信尼公消息10通、「又、栗沢は、なに事やらん、のつみ(野積)と申す山寺に不断念仏はじめ候わんずるに…」(『真宗聖典』)
とある修行地と考えられている「聖の窟」の登り口(寺泊、野積山寺説も)。
栗沢は聖人の子、栗沢信連坊。
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聖の窟途中から頸城平野方面を望む。
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窟前には、ちゃんとした説明案内板が建っていた。

11日(金)

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ホテルの朝。黒姫山
右手後方に妙高
情けないことに朝早くはダメ、昨日の山寺で足はガクガク。
引率できる年齢を越えた。
今回は、上越の知り合いに声をかけることもしなかった(出来なかった)。
でも、さわやか…な朝。
皆でお朝事を勤める。

中戸山西光院常敬寺(じょうきょうじ・真宗大谷派)ー上越市寺町ー

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聖人の孫・唯善によって創建されたと伝承。
勅願所となったため、赤門が許されたと伝承し、赤門さんで知られる。
貧しい夫婦の農耕を手伝ったという、(馬の)鼻取り太子像も有名。
写真はその太子像、簾(すだれ)の名号など。

歡喜踊躍山淨興寺(淨土眞宗興行寺・真宗淨興寺派本山)

ー寺町ー
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由緒は、常陸の草案に遡る。本堂(重文)を背景に記念撮影。

高雲山和田御坊性宗寺(しょうしゅうじ、真宗仏光寺派)

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韋提希夫人(いだいけぶにん)像。
このお姿を見て、一行からキャーの声が上がった。
韋提希夫人の像を見るのは初めてだが、坊守さん方の韋提希に対する思い、も感じられてお見せいただいた性宗寺さんに感謝。
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親鸞聖人配所草庵御真影
正面に御真影、向かって右の間にご本尊。
このような御安置形態は、この後の光源寺さん、国府別院(同一須弥壇に聖人、弥陀を安置)でもうかがうことが出来た。
聖人ご流罪の地ならばこそ…である。

竹之内の草庵、五智国分寺(天台宗)ー上越市五智ー

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直江津駅前で昼食。竹之内草庵跡(親鸞堂)へ寄る。
このご木像は聖人等身大。39歳赦免の折、剃髪、近くの鏡の池にお姿を写し、ご自刻の像と伝える。
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上野山国府光源寺ー上越市国府

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御影堂中央に「流罪勅免御満悦御影(左上の御影)」。
境内に高浜虚子句碑「野菊にも 配流のあとと 偲ばるる」。

竹之前草庵・本願寺派国府別院ー上越市国府

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流罪2年目から恵信尼公と生活されたといわれる「竹之前(たけがはな)草庵」跡と伝わる。
藩政期には愛宕神社別当宝持院に属したが、文化2年(1805)現本堂が建立され、真宗由緒地になった。
明治5年小丸山別院、昭和5年本願寺国府別院と改称された。
内陣は出内陣、正面同一須弥壇上にご本尊、聖人が並べ安置されている。

居多ヶ浜・聖人上陸の地ー上越市五智ー

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金子大榮師揮ごう「念仏発祥之地」


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まもなく、旅の終わり。
19時21分、羽咋付近。