2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

切り紙 蓬莱の元、黒壁

大乗寺山を越え埋文に向かう途中、黒壁近くのお寺で、切り紙を見た。切り紙蓬莱の取材を何度か受け、元は密教系の切り紙ですよ、とお答えしていた、その切り紙に近いものに出会った。勝道山不動寺。地内は三小牛町。昔、→倉本四郎、週間ポスト書評担当・唐沢…

亀石を訪ねて

前から気にしていた亀石を訪ねた。ここには、陰陽石がある。陰陽石は、あちこちで相当見かけた。もう、この分野はやらないといいながら、ブログには、ある程度紹介しておかなければならないかな…と思ったりもするし、陰陽石の写真を並べるのもどうかな?と思…

ここは、どこだ。

多くの親子連れが、古代体験に訪れ、楽しそうに土器づくりをしていた。春休みだ。公益財団法人 石川県埋蔵文化財センター、です。こちらは、評議員会。

石垣の板碑、後日譚

3月25日の記事に石垣の板碑と書いた。今日、確かめることが出来た。石垣があったかも知れないと思われる場所は、コンクリートで固められており、墓地内の石垣で作った台に板碑があった。墓地を整備し直し直すことによって、場所が移動することはよくある。そ…

板碑の風景

「猿の子」関係の写真を探していると、石垣に使われている板碑の写真に出会った。去年の暮れに訪ねたお寺の石垣に、板碑があったような気がして、周囲をめぐったのだが違っていた。何かの記憶違いの、何かの場所がはっきりした。ジックリ見て来たい。

松周りの土の入れ替え、門扉取り替えなどがあったので、経過を写真に撮ろうと、外へ出たら、土中の虫を捕っていたのか、かなり大きな鳥が飛び立った。思わぬ大きな羽音に驚いたが鳥も慌てたのだろう、上へ上がりきらず低いところを飛んでいったようなのだが…

蛸島の島に猿が三匹さぁがった…

山王神によって大蛸が島にされたとの伝説がある蛸島。季刊誌に「猿」について書くことにした。猿神・猿鬼伝説が多く、それに関わる行事も多い。猿の子もある。月待ち、庚申の痕跡もかなりあるはずだ。ということで『ものと人間の文化史34猿』(広瀬鎭著、法政…

末代無智の…お彼岸

御文の第五帖1通目「末代無智の在家止住の男女たらんともがら」と呼びかけられている存在を味わってみると現在は末代だから、生きとし生けるものすべてに呼びかけておいでる。はい私です、だ。無智の、智は智慧の智、仏さま、覚者の智私達のチは愚痴の痴、…

行事案内-彼岸会ポスター

仏事のほぼ一週間前に、次のようなポスターを作り、飯田、野々江、上戸飯田寄りの各地に張り出す。このような書き方は、故石井さんが見事な字で書いておられた。その記憶を、引きついているので、上戸町では故宮脇さんも、やはり上手な字で書いておられた。…

宝達山、峰冷山

3月15日、涅槃。神社で弓射などが行われ、例年、年中行事として新聞に載るが、真言・天台寺院では午前中に涅槃行事、昼のお斎があって、午後弓射行事となるエリア一連行事の、その一つなのである。真宗では15日を中心として祠堂経(永代経)を営むところが多…

沖波・前波12日(日)

真正面が石動山、右は恵比寿崎、前波龍灯崎南の出島・一本木浜から。一本木には数多の大石があって、小玉石という(『鳳至郡誌』)そこに彫られた石仏恵比寿島には、恵比寿天神社がある天神社の前に「魚霊塔」があった。珠洲市馬緤町にも同様のものがあり、…

法座の日々ー10日~12日

北村拓美さん 「ぶらり能登」(記事)でこの方の名を見たとき、ある記憶が蘇ってきた。住所、来歴を読むと、知っている北村さんに間違いなさそうである。電話を入れた。私が飯田高校に勤めていたある時期、新しく入ってこられた先生方にカリキュラムなどを伝…

家庭教師ー教師・大学一年生、生徒・中学三年生ー

これは、カテゴリーで言えば、日々(想い出)しかないのだが、大学1年の冬、受験間近の中学3年生、2人の家庭教師をしたことがある。昭和41(1966)年2月20日、日本平で(先に書いた3月、久能山を訂正)。右から山口、木村、海野、森浦さん。篭上中学校3年生。春休…

鵜川~沖波、穴水湾北道、宮犬古道ー巴(御前)塚ー板碑・五輪の風景ー

3月10日、沖波正覚寺さん祠堂経御法話の為、海辺の道を行く。懐かしい板碑・五輪光景があった。昭和58年(1983)下の道路拡張中見つかった五輪群。昭和61年原型通り、この地に移したと書いてある。甲までの一帯に、五輪・板碑があるようで、まさに海の修験道…

宮犬-庚申塔ー

イソヒヨドリが鳴いている。6時半頃から…は、声高らかに、ピーヒョロロ、アレ?このなきごえはトンビの子だ。ところで、能登には天台寺院が1カ寺しかなく、ある時期、一斉に真言化した。現在真言宗ではあるが、由緒や、仏像安置を見ると元天台系であった寺院…

春の雪から、思いはお猿さんへ、そこへイソヒヨドリ

本堂周りのテントを外し、春…!と思っていたら、雪が降った。雪とテントがなく、雪明かりで「お朝事」のお勤めは、明るく広がりを感じた。私としては、また、雪景色に会えてラッキー。ところで、このブログの整理をしていたら先日載せた板谷みどりさんの「お…

朋、遠方(スイス)より来たる。2005(平成17)年10月9日ー再掲ー

映画「サウンド・オブ・ ミュージック」を見たのは学生時代、金沢の映画館。ギッシリ混んでいて、出入り口近くに立ちっぱなしで見た。数日前、テレビをつけるとやっていた。偶然つけたの場面は、ジュリー・アンドリュースが再びトラップ一家宅を訪ねてくるとこ…

大谷国史学会講演と『中等教育資料』

資料館館長時に「大谷大学博物館学課程年報」に書いたのとは直接関係ないが、大谷大学国史学の学生さんを相手に講演したことがある。その時も、豊島さんからの話しだったような気がするのだが、地方で頑張っている国史卒業生の話しを聞く、という触れ込みだ…

「学芸員の窓」半島からー友へー(大谷大学博物館学課程年報、第8号、1996年度)

「学芸員の窓」半島からー友へー 西山郷史 昨年10月、「文化往来」(北國新聞)に載った私へのインタビュー記事を紹介する。 「珠洲市の珠洲焼資料館に就任して半年が過ぎた。珠洲焼を核にした能登半島文化の発信に意欲を新たにする。『見学に来る子供たちが目…

板谷みどりさんの「おもいで」

現今は、高校卒業式は3日前後が多いようだ。私が高校教員だった頃は8日が多く、教員生活19年間中に、卒業式を迎えることなく先だった生徒が2人いる。2人とも担任でなく、授業を持たなかった学年の子だったので、卒業アルバムは持っていない。在校生だったこ…

人生、乗如上人を敬う善男善女ー昭和58年(1983)11月23日ー

今日、数年後に「御崇敬(ごそっきょう)」を勤修される組(そ)へ行って、御崇敬とは?をお話しに行く。羽鹿二郡、鳳至郡では知られていたが、より広い範囲の人々の目に触れる活字になったのは、昭和58年に刊行された『能登島町史』であり、新聞で最初に紹…

蓮如上人御崇敬ー能登第一組押水総同行会ー

24日~28日の春勧化も過ぎ行き、3月に入った。1日、押水・坪山願生寺さんを会所に「御崇敬(ごそっきょう)」が営まれる。少し早めに、会所へ向かった。一組エリアへ入ると至るところにポスターが貼ってある。このポスターを見て、「御崇敬」とは?「同行」と…