2016-07-01から1ヶ月間の記事一覧
昼過ぎの同窓会に参加する前に県立図書館で「回想の戸坂潤」三一書房版にしかない文のコピーを取った(一般に手に入るのは勁草書房版)。冷房が効いていたら寒いだろうと思いスーツを着ていった。冷房は効いてなく、ワイシャツ姿でも汗がしたたり落ちる暑い時…
平成28年7月27日(水)朝まで雨。蒸したのもあって、猛烈に暑かった。本堂を吹き渡るはずの風は、窓を塞ぐように山車の幕が干してあって通らない(風はなかったようだが…)。
朝、タブの落ち葉を掃きに出たら、空が綺麗だった。6時ちょうど。下書きで書いていたこと…。7月6日(水)夜の風で、タブの葉が一面に広がっている。道路を掃き終え、大庭の落ち葉をつまつまと掃き集めていると、耳の後ろに触れるものがある。蜂?アブ?どう…
「北國新聞」7月20日朝刊PDF虚子、一茶、千代尼、一人一人の話しはそれぞれに一日分くらいある。短い文だが、私を含め、何人もの方々のそれぞれの別れを思い浮かべながら書いた。そして、身近な別れがあった方に、あなたと共に書いたつもりですとも言った。…
19日夜8時半満月。像法期までの弥陀の縁日、15日。箇条書きで。若山荘は、1143年、源季兼が皇嘉門院(崇徳上皇后)聖子へ寄進。親鸞聖人誕生の30年前のことで、エリアは直郷、飯田郷、若山郷、西海浦、木郎郷。皇后聖子の異母弟が九条兼実であり、荘園は本家九…
布教に出向いた広覚寺さんは、粟津姓。デザイナー粟津潔(1929年2月19日 - 2009年4月28日)氏の父の生家である。その事は早くから知っていた。もう一つ、戸坂潤氏の実家が当寺の門徒で、戸坂は幼少期、富来の祖父母の元・戸坂新宅家に疎開していた。そのよう…
祠堂法会穴水~門前・八ヶ川流域・八ヶ川ダム~穴水~富来・別所岳麓、富来川流域を往復した。昔々、よく通った道である。お寺からすぐの台地に富来中学校があって、そのあたりから高爪山が見えた。富来に来た、の感慨を最初に抱いた場所だったが、新たな富…
以前のブログ記事あう、値う、遇うー真宗の用語ー【執筆】の写真(PDF?)が読みづらい、とのコメントが入ったので、PDFではなく、文そのものを以下に記す。当然、当時の原稿、下書きがあるはずなのに残っていない。???スキャナーで取って変換。次の文で…
『能登』24号 目次:PDF一刎蓮如道 一刎は、ひとはね。7月13日県立図書館で津幡の某公民館館長と話す機会があり、翌日も電話で話す中で、津幡こそが「蓮如の里」なのだ、と伝えた。
新聞記事:PDFいつだったか記者から取材の電話が入った。もうこの分野は話し尽くしたので、お断りしたはずだった。ところが神主さんがご高齢で話しが聞けず、代わりに私をご指名なさったという。今までお世話になったのだから、須須神社へ出かけていった。「…
駒札を書き換えた。そして、札を支える棒を直した。以前の駒札。節があるところで、駒札が傾いてしまい、どうしても真っ直ぐにならなかった。
昨年は、戦後70年。今年は3.11、5年。「土徳流離」は、3.11、5年を強く意識させられた。そして、7月1日に七尾の窓口にカンパ金を届けて帰ってくると、夕方、珠洲市青年団協議会の方が「伝えたい声・残したい思い~能登の戦争体験者~」を届けて下さった。10…
6月25日(土)「土徳流離」の青原監督を歴史・民俗・観光地を案内しつつ、輪島までお送りする。船小屋珠洲の�撥を乗せて三崎の先端に着き、石に化した伝承のある獅子岩能登二見曽々木海岸、窓岩
25日にどうしても見ることが出来なかった人たち向けに、30日(土)午後、もう一度、上映した。30数名の方々が、御覧になった。7月1日(金)に、集まったカンパ金を、東北向け、熊本向けに分けて窓口に届けてきた。以上で、「土徳流離」珠洲上映終了。プロジ…
当寺の祠堂日程を終え、10日から12日に七尾へお説教に出向く。1日(金)は、中能登町の金剛山徳蓮寺さんでコンゴウ会の布教使を勤めさせていただいた。いよいよ、教えと直接に出会っていく日々を迎える。