2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

隠岐国分寺・焼火神社

以下1969年(昭和44)…7月下旬撮影。廃仏毀釈の嵐の中で、かろうじて残った諸仏・天。神像、奪衣婆。これは確か焼火神社で見せていただいたはずだ。昨日の午後3時過ぎ、隠岐国分寺が焼失したとの記事を見た。昭和44年(1969)、38年前のこと。研究旅行という名目…

人身ーニンジンー受け難し

ニンジンは十界あるいは六道中の人間(ニンゲン)界にある身だから、そう読むのだろうな。十界、六道も説明がいる…?たくさん知ることがあって楽しい、ということにしておこう。

源平盛衰記はジョウスイ、セイスイ

珠洲のいわれをまとめていて先ほど目を通した「珠洲市のれきし」で、中世を書いている方々は「源平盛衰記」の振り仮名を、すべて「ゲンペイジョウスイキ」とふっておられる。私がいつも開く角川日本史辞典は「ゲンペイセイスイキ」だ。「盛者必衰の理=ジョ…

地名ー草木・谷神の読み方ー志賀町

高浜と合併して、もう富来という地名はないのだが、俊寛の話をする中で富来の地名をいくつかあげていった。クサキ(草木)、ヤチガミ(谷神)、ブンゴミョウ(豊後名)などである。ブンゴミョウはそう呼ばないのだったブンゴメだと気づき、谷神をヤチガミと読め…

「春勧化」(はるがんけ)から、仏教語の領解

21日から28日にかけて「春勧化」のお参り中。21日から28日にかけて昼は本堂横の部屋で、21日から27日は「御座宿」を巡る。お説教のお客さんは南砺市から来ていただいている。泊まりがけで1日180分のお話しを1週間なさるのだから、お客さんも大変だし、宿元…

お座宿

秋の「おわら」の補助を辞めたのは、その分の補助を「お座」に生かし、真宗の原点である「聞法」の場、7日間のお座を何とか続けていきたいとの思いによる。しかし、街並み整備、主に金沢への移転などで10軒前後しか家がない地区も出てきている。たとえ1軒で…

富来西海の夕景

本多さん宅で多くの面、蛙を見、外へ出ると、夕陽が…

富来「湖月館」

句の短冊、色紙。 旅館で、正岡子規から俵万智まで多くの方々のものを見せていただき、ご厚意で写真にも撮らせていただいた。 貴重な資料のはずだった、が、ピント合わず失敗。無念。 中野重治、伊藤信吉氏らのこの色紙と、福永武彦氏の歌碑ぐらいしか写らな…

家から溢れる創作面・本多達郎氏

富来郷土史研究会講義前に、調査や顔出しにまわっていて、草木(くさぎ)浄因寺さんで不思議な面に出会った。これはこれは!と、お誉めしていると、その面は研究会の主要メンバー・本多達郎氏が作っておいでるのだという。会の後、お宅におじゃました。作業場…

俊寛伝説と富来・レジメ

B4 1枚目『平家物語』 2『真偽決判』大正十一年 3『真偽決判』と九州3つの島(伊王島、硫黄島、喜界島) 4『能登名跡志』 5虫ケ峰界隈の俊寛ー熊野、寺院、神社、観音ー 6『能登国三十三観音のたび』虫ケ峰観音堂 7同上と『中島町史』「俊寛僧都」 8…

二つの硫黄島・俊寛伝説

俊寛伝説との関連…硫黄島が映画になって評判を呼んでいるらしい。よく似たことを感じている人がいるようで、イオウトウかイオウジマかの議論というか、戦場になったのはイオウトウだ、のブログで俊寛の島に触れているのを見た。イオウジマは薩摩・俊寛。イオ…

俊寛伝説を探るー富来郷土史研究会

久しぶりに市外でお話し。今日は、午後から富来町でお話しする。会長さんから電話があったのが1月22日。富来町郷土史研究会では、2002年から4年にかけて12月にお話しさせていただいた。会員はその後、泊まりがけで忘年会に出かけられる。毎年、和気藹々(あ…

七尾市湯川の五輪

湯川神社(七尾市)の反対側山麓に五輪塔らしきものが見えた。車を停め、そばへ行ってみると五輪を組み合わせてある。はじめのほうだけ手伝った七尾市史調査の折に、随分この道も通ったのに気づかなかった。藪状態だったのを最近清掃し、そこで出てきた残欠を…

七尾観音崎、大野木聖徳寺さん

以下2007年2月8日の写真。観音崎を先日の写真の反対側、七尾市大野木から写す。大野木聖徳寺さんの山号は「東向山」。この手前まっすぐに海がある。お盆には、真正面の海から太陽が昇るとご住職はおっしゃった。レイラインという不思議な言葉を近年覚えたこ…

HPから削除された文

そういう中で、ある公のHPの文章が、内容的にどうなんだろうという声が耳に入ってきた。調べてみると500町歩の若山荘を50町歩として当時の全荘園を計算しているなど、間違いが多い。どこがどう間違っているのかを書き上げ、生意気にも担当者に来て貰い、問…

筆を入れたがる編集者

写真のコメントが中心である本の初稿に直しを入れ1月26日に出した。随分間があるような気がしていたが2月8日に再稿が届いた。校正すべき元原稿が入っていない。校正原稿が必要ではないくらい、ちゃんと直しましたの意思表示かなと思いながら最初のページを見…

願わくは花の下(した)にて…西行、涅槃

今日は御涅槃だ。西行法師が「願わくは花の下(した、一書はもと)にて春死なむ、その如月の望月のころ」と詠み、ほぼその通りに示寂なさった日(実際は2月16日)でもある。TVの一社ぐらいは、明日は「その望月の如月のころ、です。」と流してもいいと思う…

能登島向田

能登島町で(これは1月16日撮影)教え子に「ガラス美術館」の学芸員がいる。彼女が関わっている「notojima 0ineおいね」というタウン誌を頂いた。後書きに今度は野崎の虫送りを調べたい、とあった。これも25、6年前になるのだが、能登島町史の調査で、虫送り、…

流れ・予定

このところ。教頭会の講義校正。北陸三県民俗テープ起こしの校正。小・中社会科教師研修会の講師。『能登国三十三観音のたび』の書評(「宗教民俗研究」第16号、下仲一功(かずのり)氏筆。こういう風に書評すべきなのだ、と、目から鱗)が届き、金沢へ行ったつ…

ポーという犬

『能登半島今昔写真帖』の写真に、犬と戯れている子供たちがあった。調べていったら、遊んでいる子供の親にたどり着いた。鉄砲打ちが置いていったという犬に、ポーという新たに名をつけて可愛がったという。キャプションを考えていたら、はた、と思いついた…

坂下自動車・珠洲市飯田町

『能登半島今昔写真帖』(2007年3月、郷土出版社刊)のキャプションをつけたうちの1枚。コピー写真を参考に調べ、背景・状況を書いた。この写真は偶然、別の持ち主というか、ここに育った娘さんと会うことがあり、話をしたら、当時の多くの写真を見せてくだ…

能登島野崎からの観音崎

能登島野崎から観音崎を望む去年、野崎正願寺さんにお通夜で窺ったとき、七尾東海岸・山崎付近で行われている「目連尊者」踊りの話が出た。その歌詞の全文がある白峰の「じょうかべ」、庶民生活資料集成17巻に載る歌詞をコピーし、いつか住職さんにお渡し…

明泉寺の野仏・石仏

穴水町明泉寺の野仏『能登国三十三観音のたび』が発刊されて、ほぼ一年。調査の折には、明泉寺の大奥さんに随分お世話になった。本は贈ってあるが、その後お会いしていない。一度顔を出さなくては…と思いつつ、ようやく窺う機会がやってきた。が、お出でにな…

文龍の絵馬

文龍画・絵馬[能登町]能登町の海岸の集落に用事があり、車を止めた。時々寄る町で、お堂があることも覚えているのだが、細かい場所は忘れていた。この日は用事までに時間があったので、歩いているうちに記憶が蘇ってきた。『能都町史』調査で訪ねたときに…

久しぶりに、おうて歌わんけー

2007年1月31日。昔のメンバーで飲んだ。7年ばかり前のこと。「門徒戸数調査」の為に、委員メンバーはレポートを出し、侃々諤々。またレポート…。それを繰り返し、報告書を作成し、能登の実情を広い範囲に訴えた。いい人が揃っていた。みな熱心だった。ストレ…

白鳥の里

珠洲市正院町:白鳥の里。31日午前11時。